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ジョン・ボール (博物学者) : ウィキペディア日本語版 | ジョン・ボール (博物学者)
ジョン・ボール(John Ball、1818年8月20日 – 1889年10月21日)は、アイルランド出身の政治家、博物学者、登山家である。 ==略歴== ダブリンで生まれた。バーミンガムのオスコット・カレッジで学んだ後、ケンブリッジ大学のクライスト・カレッジに進んだ。若い頃から、博物学、特に植物学に興味を示した。ケンブリッジ大学を卒業後、スイスやその他の国を旅し、科学雑誌に植物学やスイスの氷河に関する記事を寄稿した。 1846年に救貧法委員(Poor-Law Commissioner)の助手となり、1848年にスライゴの議員候補になるが落選し、再び救貧法委員を務めた後、1852年にカーロー郡選挙で当選した。クリミア戦争への参戦に関する論争で注目され、首相を務めたパーマストン子爵によって、1855年に植民地省の政務次官に任じられ、2年間その職を続けた。植民地省では科学的な分野に貢献し、カナダへの科学探検隊の派遣や、ウィリアム・ジャクソン・フッカーとともに植民地の植物の体系的な知識の収集を支援した。 1858年の選挙で落選し、政治家をやめ博物学研究に専念することになった。1857年に創立された英国山岳会の初代会長に就任し、登山家として記憶されることになった。著書の"''Alpine Guide''" (London, 1863–1868)は多くの登山と旅行の記録で、登山中に観察したことが、明瞭で興味をひく文章で記録された。標高3168mのイタリアのドロミテにあるモンテ・ペルモ(3186m)に初めて登頂した。モロッコ(1871) や南アメリカ (1882)の旅の記録は科学的価値の高いものであると評価されている〔Tyndall pages 169,352,380,406 "veined ice of glacier, if unweathered, shows no tendency to cleave"〕。
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